★ 1947年(昭和22年)12月5日、神奈川県横浜市中区山下町1丁目で生まれ、本牧(記憶がありません)、川崎市(2〜3才、多少記憶に残っています)、保土ヶ谷区、南区で育ちました。両親離婚後、金沢区、横須賀市に住んだこともあります。保土ヶ谷の桜並木、苺畑、紋白蝶、セントメリー幼稚園、保土ヶ谷小学校、転校して蒔田小学校。少年時代が、とても懐かしく思い出されます。 ★ 横浜市立老松中学校時代に、教育の重要性に気づかされました。特に哲学に強い関心を持ちました。中学生時代は、その後の方向を決定づけた疾風怒濤の時代でありました。このときの友人たちと時折、桜木町、野毛で飲んだりしています。 ★ おとなしく受験勉強にしたがって大学の門を叩くことを反知性的と考えていたところ、新しい学問活動の可能性を高らかにうたった新設の和光大学学長梅根悟先生に誘われて進学しました。しかし、創立3年目に大学紛争で荒れてしまい、当初の理念と精神は見る影もなくなるほど。偏差値社会に抗する力も意志も失って、知的営みは遠ざかる・・。ずっと後になって、表敬訪問した僕に、その時の学長は自慢げに講師募集に応じてくる若手たちの山と積まれた履歴書を披露しました。学歴主義が見え見えでした。あちゃ、初期の学生にこう対応するようでは建学の理念は有名無実。人材がいなくなったのかなぁと情けなくなりました。その責任はどこにあるのだろうと、今でも考えさせられます。もちろん、大学には、今なお受け継がれ、頑張ってらっしゃる教職員の方々が少なからずいらっしゃる筈。情熱だけでも蘇れですね!今は応援あるのみ。 ★ しかし、哲学を学ぼうという僕を、「アカデミーの限界を破って哲学のテーマをつかめ」と励ましてくださった碩学、フッセル現象学研究の草分けである新潟大学名誉教授喰代驥(ほうじろはやま)先生の指導で学問の基礎と哲学者のあり方をつかみ、自主自立の哲学者になる道を与えていただいて今日に至っています。先生から教えられた数々が自分の学問と生き方の基礎になりました。 2005年3月に開校した京都自由大学(初代学長益川敏英さん:ノーベル物理学賞受賞。二代目学長は宇宙物理学の池内了さん。)の講師をお引き受けし、京都に出る機会を得ました。関東生まれの関東育ちには極めて有り難い視野拡大のチャンスで、学ぶことが一杯です。2006年11月、韓国のソウル近郊で行われた東アジアの平和を考えるシンポジウムでは、主催団体京都自由大学のパネリストとして参加し、韓国側と議論を交わしてきました。写真アルバムをご覧下さい。 ★ 哲学探究における海外での活動は、1993年の第19回世界哲学会(モスクワ)から。1998年には第20回世界哲学会(アメリカ・ボストン)の「知識論」部会で研究発表を行いました。又、同年と2000年の国際哲学会(ロシア・ボルゴグラード)では、知識に関する諸問題に関して講演しました。モスクワの学術雑誌に論文が原文(英文)で掲載され、ボルゴグラード大学の学部紀要にはロシア語訳が掲載されました。また、英国のケンブリッジスコラーズ出版で英語の論文が採用されました(2009年1月発行)。2008年には、ロシアのサンクトペテルブルグ大学で行われた「寛容」をめぐる国際会議で唯一アジア代表の形で報告講演を行いました。 ★ 教育活動の歴史は古く、職業としては、27歳で中野区にある学習塾に勤めたところから始まります。2年後に、杉並区の本天沼に塾を開きました。 問題児専門の塾と思う近所の方々もあったようです。まぁ確かにご近所や学校の評判が思わしくない子達も通って来てました。しかし、その子達の何が悪い!という気持ちで、日夜教育に励みました。彼らは、犠牲者なのですから。 その一方、幸いにして元気な子どもらしい子たちには、知的活力のある学習指導を行いました。5年生のみんなで作った台本『ピザパイの歌』などは、かなりの傑作だと思います。この子たちももう50代ですから、時の経つのは速いものです。 夏の《ユーキャンプ》は、この元気いっぱいの子たちとの交流の中で生まれました。5泊6日海で遊びっぱなしという行事を40年も行いました。好意的に僕の活動を支えてくださった親御さんには今も感謝しています。 ★ その昔、塾教育研究会(JKK)の設立に関係し、副代表として、中曽根内閣時代の臨教審への民間教育サイドの提言をまとめる仕事をしました。特に『塾教育リポート』(1986年)は、これまでにない分析手法で多角的に塾の実態を追求し、この問題での臨教審の認識に影響を与えたと言われます。編集に携わる(編集長)中で、地道な活動を展開している各地の塾長達や塾をたくさん知りました。志の高い方々が多く、寺子屋や私塾の歴史を通じて脈々と流れる日本の教育者の水脈を感じ取ることができました。 ★ ・中・高生には、小さいときから育てる『HIAS小さなファミール』という学習指導の場(定員15人)を設け、後半の20年以上は、僕一人の指導で意欲的活動をしてきました。ちなみに、東大、京大、一橋大、東北大、お茶大など、1〜3人程度という僅かの受験生が軒並み成功を収め、医学系を含む理系進学者の多いのも特徴です。哲学が土台になっているから、指導は、幅広く奥行きの深い学習になりますし、彼らが積極的に取り組んだ結果は我が教え子ながら見事だと思います。(ちなみに予備校等へ通っての結果ではありません。) 「塾」の活動は70歳までと思い、今は閉じました。始めあり、終わりありですね。 25年程前から、僕なりの知的生涯学習として、大人のためのPOSS(ポス)というセミナー活動を開き、今も好評です。英語、韻文学、哲学、映画等々、午前中を使って、楽しくも活発な時間を過ごしています。 ★ お酒(日本酒!焼酎・泡盛・中国酒・洋酒等色々)は飲む方でした。酒もつまみも飲む場所も、安くてうまくてお気楽というのがいい!但し、若い連中が隣近所お構いなしで馬鹿みたいに大声を発して騒いでいる場所で飲むっていうのはダメ。とはいっても、いつの間にか、昨今は飲む人の気が知れないというくらいに、アルコールとは縁遠くなりました(笑)。 外国語では特にロシア語に悔いが残ります。高校1年時代から学びました。ところがやがて、大学闘争に突入。色々な難題に見舞われ、結局ロシア語学習は犠牲になってしまいました。それでも基礎の一部は何とか残っていて、あちらに行って記憶を甦らせて驚いたり、助かったり・・。まぁ最低3カ国語は何とかなると思っていたのですが・・・。 謡曲のお稽古をしています。一橋大を二学部出た僕より数歳年長の超一流と言ってよい方です。たばこ(30年来のパイプ党:師匠は6カ国語を操るギリシャ人)を嗜みますが、殆ど吸わなくなりました。 歌、これは好きですね。渓流釣りはフライを少々。しかし、今は時間と余裕がなくなっています。スポーツといえば野球少年の時からで、相撲にも熱かった。バレーボールをやっていましたが、最近まで「ソフトバレー」を若い人たちと楽しむこともありました。駑馬にも劣るという謂いの通りですが・・。楽器は、人にお聴かせするほどのものはない。それからお風呂。温泉に浸っている時間は極楽。しかし、長風呂なので、同行者には迷惑を掛けたものですが、最近ではすぐあがります。。 嫌いなものは、カレンダー。見ると怖いものがあります。 ★ 家族は、妻と成人した娘2人。上の娘は、中国の学校(北京大学卒)を出て、日中交流の会で活動した後、都内のTV局、東大医科研に勤め、今はフリーで中国語を活かした活動をしています。下の子は美術を志してニューヨークで暮らし、大学院でも学びました。2009年秋、絵画作品で何か賞を頂戴したようです。全米のザルツブルグ研修派遣学生に選ばれたりしました。外国人なのに、こうした勉強の機会を頂戴するなんて本当に有り難いし、我々日本人も見習いたいところです。現在は芸術作品の制作に励む一方、ノースキャロライナの大学で、兼任教授をしています。 世代交代になりましたが、これまでの経験+新たな学びによって出来るだけの発信をしていこうと考えています。 哲学を活かす場として、2016年「現代知クラブ」を立ち上げました。各界で活躍中の方々にお集まりいただいています。そのバラエティは素晴らしく、お互いの仕事の刺激になっています。例えば、書家、医師、コンサートピアニスト、実業家、演出家、技師、国際的ギタリスト、裁判所調停員などなど、有り難いことです。これからもっと頑張らなければなりませんね! □ 論文・出版等: ★ 「Introduction to the Theory of Blocked Knowledge」( Manuscript for Presentation in XIX World Congress of Philosophy, 1993 ) ★『知覚論の視座』(共著) ☆「活性知と閉塞知の諸問題(英文・英文からの翻訳露文)」 ☆ 「The Role of Generative Knowledge and Knowing Against the Following Crisis and the Cataclysm in the twenty first century」(2000年国際哲学会発表論文) ☆「NEW RESEARCH ON THE RECPGNITION OF HUMAN BEINGS, BASED ON THE EMARGENT DOMAIN THEORY OF KNOWLEDGE」 (ケンブリッジ・スコラーズ出版 『THE HUMAN BEING IN CONTEMPORARY PHILOSOPHICAL CONCEPTIONS』2011年1月) ☆ 「豊かな教育のための知識論」 ☆「教育改革 三つの根本問題」 ☆「未来を展望する真性活性知の役割」 ★『幼児教育の考え方』(ブックレット) ★『新しい知育の提案』(共著・ブックレット) ★『世界詩人への50の質問(英文冊子)』他。 ★和久内明詩集『証の墓標』(2003年8月:株式会社日刊現代刊)。 ★「THROUGH THE BILLOWS」(波濤を越えて):原文(英語)、仏語訳、スペイン語訳(『World Anthology of Contemporary Poets)』No.1,August 2004 所収 ルーマニアstand@rt社) ☆ 「閉塞知と大学受験」(季刊『人間と教育』47号、2005) □日本哲学会会員 【付記】 長野芳明→25歳のとき、苗字が母方の「長野」に。それまでは、堀井芳明(ほりいよしあき)。学校時代の友人は知らない人が多いと思いますので。 |